毎日のできごとが学び

今日は、Uber Poolの8キロ以内、49ルピーのスキームが終わってしまい、poolでさえもこれまでの3倍以上の値段が出て来たので、久しぶりにオートで通学し、メトロで帰宅した。

デリーでは、同じ場所に行くにもいくつかの選択肢がある。それは経済的、時間、利便性、色んな面から(少なくとも私は)選ぶことができる。例えば、私の家から学校は、メトロなら10ルピー(約16円)前後で、オートなら60ルピー(約96円)で、Uberなら130ルピー(約208円)で着く。

携帯のタクシーサービスのアプリUberを使えば、車の柔らかいシートに座って、窓ガラスを締めれば街の騒音や異臭から隔離され、暑い日や寒い日にはエアコンで車内に快適な温度をもたらし、無菌状態で目的地にたどり着くことができる。アプリで近くにいるドライバーを呼び、固定料金で、予めアプリに入力すればカードなどキャッシュレスでの支払いも可能。ドライバーが曲者でない限りは、ストレスフリーで快適なドライヴが得られる。

オートに乗るなら、メインロードまで出て、流しのオートを捕まえる。目的地を伝えると乗車拒否される場合もあるし、メーターがあるにもかかわらず、大抵の場合、金額交渉が必要だ。さらに、囲いがない乗り物なので、暑い日や寒い日は、暑さや寒さを肌に感じ、騒音や大気汚染、異臭などにさらされるドライヴとなる。シートも硬い。

そして、メトロ。混んでいなければ、エアコンのある車内で、快適な乗車ができるが、混んでいる場合は、地面に座る、降りる人を先に降ろさないで乗るなど定着しないマナーに辟易させられることもある。今のように気候が良ければ、家から駅、または駅から目的地まで歩くのも苦ではないが、酷暑期には応えるし、舗装された道路ばかりではないのと、道路にある障害物で短い距離でも結構疲れる。

こんな風に、ここには色んな階層があって、それぞれ違った景色が見える。多分、だからここは複雑でおもしろい。この階層そのものも、その階層社会の中のルールも、誰かが決めて、誰かがそれに従ったり、左右されたりする。根強いヒエラルキーの下では、どの階層でも鶴の一声で物事が決まるから、いつどこでどんな幸せが待っているのか、不快なことが訪れるのか分からない。

自分の準備や努力で、ある程度回避できるリスクや手に入れられるものはあっても、置かれたポジションで、なるがままにことの経過を見送り、結果を待つしかない状況に置かれることもある。

そんなことは、程度の違いはあれ、東京でもデリーでも、他のどこにいても一緒なのに、その振り幅が大きいから、色んなことが大げさに感じられて、有頂天になったり、深く傷ついたり悲しんだりする。 

だから、余計な期待はせずに、やれることをできるだけやる。そうした結果が少しずつついて来ている。そうやって、少しずつ何かが私の中に積み重なっている。最近、そんな気がしてる。

毎日誰かから何かを学んで生きてる。それがグルでも、ミュージシャンでも、クラスメイトでも。それが、ダンスでも、リズムでも、人と人の関わり方の法則でも。多分これも生きている限り、世界のどこにいても同じ。 

最後は自分の中に何が残るか、自分の頭でそれをどう考えるかだ。

カタック・ダイアリー ♡ Kathak Diary

東京、デリー、ロンドンなどでカタックの研鑽を積んだカタック愛好家のウェブサイト♡

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