ソング・オブ・ラホール

8月13日にリリースされた映画「ソング・オブ・ラホール」を、約1か月遅れで渋谷のユーロスペースで観てきました。この映画は、イスラーム化政策で歌舞音曲が弾圧され風化しつつあるパキスタンで、ミュージシャンたちが自分たちの伝統を守るための奮闘を描いたドキュメンタリー映画です。映画鑑賞に先駆けて、先週行われたプライベート・ライヴに足を運びましたが、やはり先に映画を観ておくべきだったと反省しました。

【ここからはネタバレを含みます】

この映画でフィーチャーされているミュージシャンとは、サッチャル・ジャズ・アンサンブル(オーケストラ)で、パキスタンの政策によって激変してしまった彼らの音楽との生活、生き様や思いが描かれています。パキスタンでは、音楽は代々ある一定の家系の中で継承されてきました。先代から引き継いだ責任や思い、次世代への伝承など、その家系に生まれた者だからこそ味わう苦悩や苦労は、計り知れません。

そんな彼らの生きる道に光を照らしだしたサッチャル・スタジオの創立者でパトロンのイッザト・マジードの慧眼にも注目です。彼は、パキスタン生まれでロンドン在住のフィランソロピストです。自身は音楽家ではありませんが、少年時代にアメリカ国務省の文化外交プログラムでラホールを訪れたデイヴ・ブルーベックの演奏に感銘を受けジャズに目覚めたそうです。音楽愛好家の彼が、パキスタンの音楽とジャズとの融合を提案したそうで、彼の先見の目がなければ、サッチャル・ジャズ・アンサンブルは、ここまでメジャーにならなかったかもしません。いくら才能や技術があっても、芸術家にとって敏腕プロデューサーの存在は不可欠でしょう。映画では、イッザト氏の判断力やマネジメント力の高さが伝わってきました。

そんなプロデューサーの腕により、サッチャルのインターネットに投稿された演奏映像がイギリスのBBCで注目を浴び、アメリカのジャズ・アット・リンカーンセンターから公演のオファーも舞い込みます。パキスタンの音楽家は教育のレベルが必ずしも高い人ばかりではなく、音楽家で流暢に英語が話せる人は決して多くはありません。映画では、アメリカのリハーサルでの言語の壁、記譜の方法の違いなどが浮き彫りにされますが、確かな音楽の腕がそういった問題を解決していました。実際、音楽を言語にしている同士であれば、話す言語よりも早く音楽で理解できるのだと思います。

ただし、この作品は「音楽は言葉を超えて世界共通」という、ただのメデタイ成功ドキュメンタリーではありませんでした。パキスタンから来たシタール奏者が、リハーサルでうまくのれずに降板し、現地の別のシタール奏者にメンバー・チェンジしていたシーンや、普段サッチャルのメンバーとして活動しているバイオリニストが、渡米メンバーから外されているシーンでは、プロデューサー、イッザト氏のアメリカ公演成功への執着が伝わってきました。

個人的には、サッチャルがアメリカからの帰国凱旋公演を行った会場、アルハムラー劇場が登場したシーンも特別でした。この劇場では、学生時代にウルドゥー語劇「はだしのゲン」を上演させて頂いたことがあり、彼らと同じ舞台を踏んでいるという事実に、誇らしい気持ちになりました。

また、オープニングシーンのこの絵も印象的でした。中世のムガル宮廷のイメージだと想像しますが、画面中央下に描かれるダンサーの動きが、今のカタックとは違うけれど少し似ていて興味を惹かれました。

まだご覧になっていない方は、是非劇場へお出かけしてみてはいかが☺?

カタック・ダイアリー ♡ Kathak Diary

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